ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

忘れられないプロゴルファー...27「ジャン・バンデベルデ」

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ジャン・バンデベルデ...1966年生まれのフランス人。
何時だって記憶に残るのは優勝したただ一人の人間のみ、というプロスポーツ界で、これほど記憶に残る「完全なる敗北」をした選手は他にいないだろう。

1999年のカーヌスティで開かれた全英オープン
難コースと悪天候でタイガーをはじめとする有力選手が全てオーバーパーという状況の中、4日目最終日の17番ホールを終わったところまで、ゴルフの女神にただ一人愛されたかのように、このフランス人のハンサムな男はトップに立っていた。

そのゴルフは、その当時まだヨーロッパツアーで1勝しかしていなかったこの男にとって、まさに「神懸かり」だった。
特に3日目の14番ロングで、3打目は共有グリーンの反対側4番側の端まで行ってしまい、残り25メーター以上あろうかというロングパットを入れてバーディーとしたときに、俺は「勝つのはこの男だ」と確信した。
ついでに18番でも10メートル以上のバーディーパットを入れてしまったし。

そして最終日の最終ホールの18番、2位とは3打差...迷わずドライバーを持つ。
後でこの選択について色々と言われているが、バンデベルデはトップグループの中で4日間一番多くドライバーを振り回して攻めていた。
結構曲がったりトラブルにあったりしていたけど、全てアプローチと神懸かりのパットで凌いできた。
ここでドライバーを持ったのも、「最後まで攻めきろう!」という彼のブレのない気持ちから当然の選択だったろうと思う。
...そして、ボールはプッシュアウトして隣の17番のラフに。
セカンドもまた、彼のこの全英オープンの(それまでは上手くいっていた)攻め方を、変えようという気にはならなかったんだろう。
2アイアンはまたしてもプッシュアウト...右の観客席に当たって、バリーバーン前の深いラフに。
リアルタイムで見ている俺には、ここが一番のターニングポイントだったと思えてならなかった。
ティーショットはバリーバーンを越えて隣のホールのラフ...助かった。
セカンドは観客席に当たって、戻ってきて、やはりバリーバーンに入らずに深いラフ...助かった。
ずっと彼を愛していたゴルフの女神は最終ホールで、2回助けたのだ。
次のショットは左、又は後ろのフェアウェイにサンドで出すことは出来たと思う...3打差があったのだ。

3回目は、女神は助けてくれなかった。
...バリーバーンの中で、水中に沈み行くボールを見ていた、バンデベルデの悲しげな顔が忘れられない。

トリプルボギーで上がって、ジャスティン・レナード、ポール・ローリーとの3人のプレーオフとなったが、71ホールの間〔2回助けたのだから72ホールかも知れない)彼に微笑みかけてくれていた女神は、もう彼を振り向いてはくれなかった。
しかし、あれから10年が経った今、今年のロイヤルトロフィーに出ていたポール・ローリーが、この時の全英オープンチャンピオンだなんて、殆どの人が覚えていないんじゃないのか。
それに比べると、バンデベルデにとっては嬉しくもないだろうが、「カーヌスティの悲劇」はこれからもゴルフファンの間でずっと語り継がれていくことだろう。

ジャン・バンデベルデは、どうもこの時の傷が癒えてはいない(普通ならゴルフをやめるほどのショックだろう)ためか、2005年にはフランスオープンのプレーオフで、相手がダボを打ったのに、自分はトリを打って負けている。
しかし、このハンサムな好漢は、去年の全英オープンでもマンデイから勝ち抜いて、全英オープン本戦でも予選を通り戦い続けていた。
詰まったホールでじっと目を光らせているその姿が放映されたが、心に瀕死の重傷を負っていようとも、「まだ死んではいない!」という静かな気迫を感じさせて。

余談だが、この時バンデベルデという名前に何か聞き覚えがあったので調べたら、「完全なる結婚」という本を書いたのがバンデベルデという名前の博士だった。
俺が結婚するときに、誰かが結婚生活を失敗しないようにと(余計なお世話だが)、プレゼントしてくれた本だった。