ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「つもり」も「予定」も、要するに「わかんねえ」のが人生って事よ

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先日のゴルフで、まさかゴルフ始める前の「寝起き」から不整脈になるとは思っていなかったから、この秋シーズンの俺のゴルフ予定は一旦白紙状態だ。

その後の家族旅行でも、うちでの暮らしでもあんな不整脈は出なかったから、このまま無事にやり過ごすことは出来るかもしれない。

しかし...ゴルフたんびに不整脈に悩まされるようになったら、俺の「ゴルフ人生」はもう終わりにしたほうが良いんだろうと思い始めた。

...あの発作までは、自分ではまだまだ何年でもヒッコリーゴルフを続けるつもりだった。
ヒッコリークラブに糸巻きボールのゴルフで、徐々にスコアも作って行って、オープンコンペなんかで優勝を狙うようになるとかは当たり前に考えていた。
それが、あれ以来「あと何年だ?」って事が一番大きな問題になっちまった。

ゴルフを始めた30代の半ばの頃、一緒に回った70歳の人のゴルフを見て「ああ、俺も70になってゴルフをするような人生を送れたらいいなあ」なんて思ったことを覚えている。
その人以外の3人はほぼ同じ団塊の世代のゴルファーだったので、皆同意見だった。
「70歳でゴルフを楽しめるという事は、まず体がゴルフを楽しめる程度に健康であることと、ゴルフを楽しめるだけの経済的・精神的な余裕があることだよな」
「つまり、70才を過ぎてゴルフが出来る人って『いい人生』を送ってきた人なんだよな」
当時の我々の倍の年齢のゴルファーの元気な姿は、「スコアはともかく」人生を豊かに過ごしてきた人の栄光のオーラに満ちているように見えた。

そんなことを話した二人の同年代のゴルファーのうち一人は、50代で病に倒れた。
もう一人も、20年前にゴルフをやめていまは付き合いが無い。
残ってゴルフを続けているのは、俺一人って訳だ。
...だけど、そんな俺にも終わりが見えてきたのかもしれない。


いつまでも続く人生は無い。
ずっと永遠にヒッコリーゴルフを楽しめるはずも無く、ゴルフが出来る状態でいつまで生きていられるか...結構残り時間が切迫して来たような空気をヒリヒリと感じる。

とりあえず、29日のオープンコンペは参加するつもりだが、不整脈を起こさないように酒は500ml一缶から、350ml一缶に減らす。
「明日はゴルフ」の酒は本当に美味いものだけど、まずは不整脈を起こさない事が一番。
もちろん睡眠も多めに取り、なんとか心臓の心配のない状態でスタートしたい。
天気の心配は無さそうだけど、一人予約で申し込んだ他のメンバーが全員50代だとメールがあった。
これは参った...同じ世代の人がいれば、シニアティーでヒッコリークラブと思っていたのだが、全員50代じゃ白ティーでやることになるだろう。
そうなると、ヒッコリーに糸巻きじゃあ決定的に飛距離が出ない...無駄な力が入るのも嫌だし、これが原因でヒッコリーゴルフが乱れるのも嫌だ。
ならば、もう何年振りになるかわからないが、コンペの前半ハーフは以前使っていた現代クラブで付き合っていこうか...全く最近使っていないのでスコアは出ないだろうけど、横一列のゴルフは出来るんじゃないか?

不整脈が出ずに普通のゴルフが出来たなら、午後はヒッコリーで遊べばいいし。
問題は何年振りかの現代クラブが当たるかどうか...月曜日に軽く練習場に行っては見るけど。

 

それにしても、どうなるんだろうね...俺の心臓。