ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

オモエバ(オモワナクテモ)トオクヘキタモンダ

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あと二日で「平成」って時代が終わるんだと。
(あ、正式には元号発表が明日で、次の時代は5月1日からね...なんだか気持ちは明日で終わりだけれど)

「昭和」から「平成」になった時、「ああ、古い時代から新しい時代に変わるんだな」なんて思った部分があったけど...
その時代がまた終わって、また新しい時代になるとはね。

俺たち昭和の人間が普通にその時代の変遷を考えた時、二つ前の時代「明治」とは「革命と変化の時代」、一つ前の時代「大正」は「頽廃とロマンの時代」、そして「昭和」というのは「激動と光と陰の時代」という風に感じているんじゃないだろうか?
本当は色々と「実は・・・」という「歴史の真実」があるにせよ、一般的にはそんな風な色付けがされていると思う。

じゃあ「平成」ってのはどんな時代だったのか?
俺の独断と偏見でいえば、「人間の幸せ」の基準が変わりつつあった時代なんだと思う。
本当は人間の幸せにプラスになる為に発明・開発された「コンピューター」によって、逆に「人の幸せ」が脅かされ始めた時代というわけだ。

多分今ならそれはまだ変化が可能な事象だが、手遅れになると悲劇の方が遥かに大きくなるような重大な「流れ」であって、新しい時代には「大きくその流れを変えられる有能な人材の登場を世界は待っている」というのが俺の今の感じている事。


それにしても...俺たちが「明治」の人の話をするときには「遥か遠い古い時代の人たち」なんて感覚が根底にあったような気がするが...これから始まる新しい時代の人たちには俺たち「昭和」の時代の人間はみんなそういう風に思われるんだろうなあ...

いや、「平成」の時代の人間に、もう既にそう思われているか(笑)。