「平成」になった時の、「へーセー?」という響きのなんとも拍子抜けした脱力感に比べて、「れいわ!」という響きにはなんとなくしっかりした重みを感じる。
元号というのは実際の生活においてほとんど使うことはなかったが、時代の色やイメージの象徴として日本人の心には確かに存在している。
(普通書類にサインするときの「生年月日」以外では、まず書かなかったような)
こんな時に、この際全部西洋暦に統一してしまえ、なんていう識者の声も聞こえるが...自分には、元号を無くす必要も感じない。
...ゲームが人気なのも、大きな理由の一つに実人生と違って行き詰まれば誰でも簡単に「リスタート」が出来ることだと思う。
現実の人生での「リスタート」には大変な手間と準備が必要になるし、絶対不可能なことも多いのだが・・・何かきっかけと強い決意があれば決して「リスタート」出来ない訳じゃない。
この「平成」から「令和」への元号の変化は、本人次第で大きなきっかけになりうる。
今までの「平成」でやっちまった「あれやこれや」は、気持ちの上で平成の時代のうちにゲームセットにしたり、一旦クリアにしちまえば良い。
5月から始まる「令和」元年は、もう一度「まっさらな自分」で再スタートしてやり直すいいきっかけになる。
ダメな自分は「生成」に捨ててきて、新しい(かくあるべき)自分が「令和」から始まるって訳だ。
そんな具合に考えたら、「令和」はきっと素晴らしい時代になるはずさ。