ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

漕ぎ出す

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自分が此処迄生きて来れた事は、運が良かったから...長く生きて来ると、つくづくそう思う。
「運が悪けりゃ、あの時死んでた」なんて事が何度もあった。

昔言われていた「今時の若者は...」なんて言葉は、今の年になって若者を見ると、そのあとに「可哀想だな」なんて言葉が出てしまう。
世の中は、豊かにはなったけれど余裕が無くなり生き難くなった。
社会はすぐに金になる技術を持つ者だけを求め、その技術を育ててやる余裕を失った。
すぐに現金化出来ない未熟な技術は、「無駄」と言う名でリストラされて行く。
人は社会の中で腕を磨いて行くチャンスを失い、未来にスペシャリストになるはずだった者は、フリーターと言う名の万年ビギナーで埋もれて行く。

仕事の種類は多くなり収入も良い所が多くなっているとは言え、仕事に誇りを持つ人は少なくなり、「ものを作る人」より「金を動かすだけの人」が大きな顔をしている時代になった。
何も生産せずに、情報を頼りに金を動かして大金を得た人が「成功者」として人生を語り、地味な努力の末に磨いた腕を持つのに貧しい人々を、情報弱者と呼んであざ笑う。

以前、パソコンやネットは「人を便利にはするが、幸せにはしない」と予言した人の言葉が現実になって行く。

そんな時代に流されないで、「自分らしく生きたい」なんてのは甘過ぎる馬鹿者の考えだけど、それでも何が出来るのかは、やってみなくちゃ判らない。

...自分にそっくりのボロ舟が一艘、自分を待って繋がれている。
あての無い、経験した事の無い世界に漕ぎだして行くのには、この舟はあまりに小さくてボロ過ぎる。
でも、今漕ぎ出さなくては、此処もいつか水に浸かって住んで行く事は出来なくなる。
確かな希望も自信も無いが、漕ぎ出す僅かな勇気があれば、とりあえず岸を離れては行ける。
濁流に翻弄される日もあるだろうし、沈む事だってあるだろう、あるいは長閑な流れに身をまかす時もあるかもしれない...でもどっちにしたって、「やらなかった後悔」よりも「やって後悔」した方がどれだけ良いか。
...何処が目的地なのかは、流れ着く前にしか判らないんだし。


目の前のボロ舟が、「さあ、行こう」と言っている。
空は青く晴れている。