ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

パットの極意は「そのパットを入れたい」と思うこと

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パットの極意は「そのパットを入れたい」と思うこと...ピーター・トムソン

ピーター・トムソンは、一風変わった成績を残したオーストラリアのプロゴルファー。
その最たるものが、全英オープンの5回優勝。
特に1954年から55・56年と3連勝し、その後に1958年・1965年の2回勝っている。
欧州で24勝、オーストラリアで20勝、日本で7勝しながら、アメリカでは1勝だけ。
後年、シニアツアーで11勝してはいるが、アメリカツアーでは殆ど活躍していないので世間的にはそれほど知られているプロゴルファーではない。
しかし、同じ時期には、1953年がベン・ホーガン、1959年にはゲーリー・プレーヤー、1961年62年にはアーノルド・パーマー、1966年にはジャック・ニクラスがそれぞれ全英オープンに勝っているのだから、ピーター・トムソンというゴルファーが彼等と同等以上の力があったゴルファーだったというのが判る。

そのピーター・トムソンの言葉。
「そんなこと当たり前だろう!」なんて、みんな思うだろう。
しかし、まるで禅問答のようにも聞こえるこの言葉、以外に深くて役に立つ。
...自分に照らし合わせてみると、パットを打とうという時に「絶対にこのパットを入れたい」と思っている事って、案外少ないような気がする。

アドレスに入った後で、「このパット、絶対に入れる!」なんて思わないで、「3パットしたくないなあ」とか「バーディーパットなんてはいるわけが無い」とか、「オレはパット苦手だからなあ」とか「この前は5パットしたよなあ」とか考えている。
内心では、始めからそのパットが入ることを信じていない。
「入るわけがない」と思おうとしている。

そして、外すことを前提に、外した後の言い訳を考えていたり、入らないのが当たり前の難しいパットだということをあらかじめアピールしたりする。
そんな準備は、グリーンに上る前から「難しい所に乗ったなあ」とか「下りが残っちゃったよ」とか言っておく。
ボールの所に歩いて行く時には、「老眼になってから傾斜が判らないよ」とか「始めてのコースだから芝目が読めないよ」とか呟いておく。

そんなこと、覚えがあるだろう?
こうしてアドレスに入った時に「このパットを入れたい」なんて気持ちになっているはずがない。
次のパットが「お先に」出来れば、心底ホッとする程度。

じつは私は、「パットなんていうものは、人間の力が6割にゴルフの神様の力が4割」なんて考えているんだけれど、それもきっと「このパットを入れたい」と思ってこそのこと。
「入れたい」と思っていないパットなんて、ゴルフの神様だって手を貸してくれるはずがないだろうし、まず9割は入らない。
入るのは打ち損なったときだけ。

次からは、パットを打つ時には「このパットを入れたい」と念じてから打ってみよう。
不安や迷いや、言い訳や格好付けを抑えてそんな気持ちになれたなら、今までよりは気持ちの籠った転がりのいいパットが打てるかもしれない。

...それでも入らないときは入らないと思うけどね。