ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

最後の車

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ニッサン・サファリを、ゴミ箱に投げ捨てる気持ちで見限った後、次の車をどうしようと言う事になった。
サファリのようにあまりにも馬鹿馬鹿しい故障を繰り返し、メンテも満足に出来ないような新車を購入する事は、もう絶対に嫌だった。

どうするか。

買い物をするには「時」があると思う。

以前、まだ次女が生まれて間もない頃、さんざん迷ったあげく当時出たばかりのビデオカメラを買った事があった。
VHSで、デッキ部分とカメラ部分が分かれていて、カメラは肩に乗せて撮影する大きなもので、デッキ部分は一昔前のVHSデッキの大きさ...左肩にデッキ部分を入れた重いバッグを下げ、右肩にコードで繋がれた大きなカメラを構えて撮る、という仰々しい形のもの。
大袈裟な形の割には画質は、今見ると酷いものであった。
しかし、小さな娘達の毎度おかしく可愛い仕草を残しておくには、それが当時最も性能の良いものだった。
しかし、値段は両方で40万円以上...稼ぎの少なかった当時の自分達の、貯金全部をはたいて買った。
自分の親達は呆れ、怒り、友人は「そんな高いものを今買わなくても、すぐに安くていいものが出るから」という。
それに対して、「確かに安くていいものがどんどん出ると思うけど、今の娘達を映しておけるのは今しかない」と反論した。

後年、大きくなった娘達は、自分達の幼い頃の動きや言葉や、いろいろなエピソードを何度も繰り返し見て、笑ったり泣いたりして楽しむことが出来た。
と同時に、「知り合いの誰も、自分達のこんな小さな時の映像と音声を楽しめる人はいない」と言って感謝してくれた(8ミリの映像を持っている人はいるけれど、それには音は入っていない)。
「すぐに安くていいものが出るから」と言ってなかなかビデオを買わなかった友人は、やっと安くて充分性能の良くなったカメラを買った時には子供が中高生になっていて、カメラを向けても顔を背けて逃げてしまうと嘆いていた。
時はすぐに流れてしまって、その時間は二度と来ない、という事を忘れていた、と。

あまりにも高い買い物であるキャンピンングカーの購入を、自分が奥さんの反対を押し切っても決断したのは、やはりその思いがあったからだった。
その時、娘は中学生と小学生。
夏休みや、春休み冬休みを利用すれば、長期のキャンピンングカーの「流れ旅」が出来る。
「時」は今しかない、と思った。

時が流れて、金が貯まるまで待ってしまうと、もう娘達と一緒に長い旅に行けなくなる年になってしまう...子供が学校を出るまでが、本当にキャンピングカーが必要な時期だと思っていた。

金の苦労は...大変だった。
貯金全部足してもとても足りず、中小企業向けローンなどの助けを借りて、なんとか買う事が出来た。
勿論その後は貯金ゼロのその日暮らし、必死で仕事を続けてなんとか生活を続けた...

細かい事はまた後で書くけれど、最初に行った東北旅行での奥入瀬渓谷で撮った写真を見れば、奥さんも楽しんでいるのが判るだろう。
子供たちはこの時車内で寝ていた。

(20年前は、うちの奥さんも若かったなあ...)