ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

勘違い

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ゴルフをやっていて、多くの人が陥りやすい勘違いに「ハンデの少ない人間が偉い」ということがある。

ゴルフ倶楽部のなかであっても、コンペなどでハンディキャップが明らかになる場合でも、あるいはふとした会話でお互いのハンディキャップがわかった場合でも、その「ハンディキャップで人間の上下まで決まった」という勘違いをする人間が少なからずいる。

それまで対等に話していたのに、自分のハンディキャップの方が少ないとわかったとたんに偉そうな話し方になる...あるいは自分の方が多いとわかったとたんに、卑屈になって敬語を使いだす。

これが勘違いだ。

ハンディキャップはほとんどの場合、「ゴルフの技術が多少上手い」ことを表しているだけで、ゴルファーとして人間として「質が高い」ということを表している訳ではない...「ほとんどの場合」、と書いたのは、ごく一部のコースでは、例えばシングルハンデにする場合にはその人のゴルファーとしての態度、プレーぶり、あるいは人間性まで技術以外に参考にする、ということがあるから。

しかし、一般には...こんなゴルフブログの世界も含めて、自分が「上級者」だと勘違いしている人間が、ダッファーだと思われる人に対して恥ずかしいくらい「上から目線」で書き込んだり、記事にしたりするのを目にすることが多い。

ゴルファーとしての「格」の高い人というのは、そのプレーぶりや態度、同伴競技者への自然な思いやりや、前後の組で回る人たちへの配慮、コースならびにグリーンに対する愛情、そしてゴルフに対する深い憧憬や知識、そしていつもプレーに対する好奇心や研究心に満ちて、毎回のプレーで惰性で流すプレーなどせずに常にチャレンジするような人だろう。
...たとえ、いつもいつまでたってもその打数が減ることがなくても、だ。

そういう人はおそらく、自分がいくら努力してもその打数が減ることがないので、毎ホールパーだのバーディーだので回る人が信じられなくて、そんな人に会うとあこがれと尊敬を込めて敬語を使って話しかけたりする。
すると、ただ若い時からゴルフに接していて、人並みに運動神経もあり、ゴルフをやる環境にも恵まれた挨拶も満足にできない、傲慢で頭の空っぽな男は、年上の紳士である永遠のダッファーに対して半分馬鹿にしたような態度で、素っ気なく返事をする。
男にはそんなダッファーのゴルフなんか、ただバタバタとした邪魔な同伴競技者としか見えていないのだ。

俺自身が質の高いゴルファーにはなりたくともなれない欠陥ゴルファーだから、そんなことがよく見える。
...ちょっと自分が上手くなったりした時には、自分も周りを上から目線で見たりした恥ずかしい記憶があるし、たくさん叩く人間を内心馬鹿にしていた時期だってあったから。
ただし、普通はすぐに気がつく...上には上がいるし、実際に理想のゴルフをするような高みには自分が一生たどり着けないことに。

そうして見えてくるのは、素晴らしきダッファーたち!
どんなに女神に無視されても、へこたれず、あきらめず、タイガーなら100回くらいクラブを叩き付けているような状況でも、笑いを忘れず、周りに気を使い、同伴競技者に謝りながら、クラブを抱えて走り回る。
たくさん叩く。
でも、決してゴルフを嫌いにならない。
人一倍ゴルフを愛して、人一倍ゴルフを楽しむ。

ひとホールに書き込む数字が少しくらい少ないからって、たくさん叩く人を上から目線で見る「ゴルファー」よ、ゴルフの奥深さはそんなものじゃないってことを少しは考えた方がいい。
「すばらしいゴルファー」になるには、そんなことはほとんど関係ないんだから。
そうして、ゴルフは数字だけじゃないってことに、必ず後で気がつくから。