ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

日本の試合

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先週末、何となくテレビ中継をしていた日本の男子ツアーと女子ツアーの試合を見てしまった。
女子ツアーの方は、相変わらず次々とニューフェイスが登場して、それなりに華やかな優勝争いを展開していた。
この日だけを見ていると、アメリカツアーに参戦している宮里や上田でさえ、もう「過去の人」と見えるくらいに新しい波の勢いを感じる。

それに引き替え、男子ツアーは暗くてつまらない試合に見える。
...何故そんな風に見えるのか、中継を観戦しながら考えていた。
唯一陽の光の下で輝いているのは下位に低迷していた石川遼くらいで、他のプロ達のゴルフをする姿には、ワクワクするような期待も、ドキドキするような緊張も感じることが出来ない。

言ってみれば、ただ「ゴルフの上手い若造が、ゴルフの強弱と自分の稼ぎのために競争している」だけの姿しか感じなかった。
何故そう感じてしまうのかを考えてみると、彼らの殆ど全員が「子供の頃から、スポーツの競技として練習して上手くなり、大金を稼ぐ手段としてプロになった」賞金稼ぎの職業ゴルファーとしか見えないからなのではないだろうか?

そして、何故我々がゴルフに熱中しているかというと、(特に30代半ば以上の人にとって)ゴルフはただ若い体力だけで上手くなり楽しむものではなく、上手くなる過程でもラウンドしている途上でも、体力と技術以上の謂わば人生の機微や自分の存在の理由まで重ね合わせて楽しんでいるからではないのか?
「ゴルフは人生と似ている」なんて言葉に、多くのゴルファーが共感するのは、そんなゴルフにおける成功や失敗や希望や後悔が、単にボールを転がして穴ぼこに入れるまでの回数を競う以上に我々を魅了するからではないのか?

今の日本の男子ツアーの試合には、「飛ばしっこと入れっこを競う運動選手」はいても、「ゴルフの深み」「ゴルフが上手くなる過程で人間的な魅力を身につけた」ゴルファーを感じさせてくれるプロがいないように見えてしまうのだ。

よく見てみると、故障から苦労して復帰したという平塚や、まるでアマチュアのようなスイングの藤田や、人間味溢れるエピソードを持った選手もいるようなのに。

「アスリートゴルファー」を目指すなら、世界を相手にするだけの技術と頭を身につけて欲しい。
世界に通用しないただの半端な「アスリート」プロは、何も考えていない何も感じられないただの体力自慢なゴルファーにしか見えない...そんなプロには我々はなにも共感しないし、応援する気にも見る気にもならない...しかし、殆どの若い選手がそう見えてしまう。
「プロ」という看板を背負ったら、タイガーやミケルソンと同じ土俵にもう登っているのだから、ただの「そこらにいるアマチュアよりもゴルフが上手い」だけで、「俺はプロだ」なんて威張れるモンじゃない...世界に挑戦しようとするプロになら、もっと応援する人も増えるはずだと思うのだけれど。

試合をするプロ達に魅力を感じなくなってきていると言うことは、「ゴルフ」というものが、「見るもの」ではなく「自分がプレーして楽しむ」ものになってきているからなのかも知れない。
プロ野球のように、応援している人の殆どはもう実際に野球をプレーしていないのとは違い、ゴルフの試合を見ている人は自分でプレーをしている人がほぼ全員。

タイガー達と争うような「世界規模のツアーのゴルフの試合」以外は、自分たちのゴルフの方が面白いという理由で、中途半端なゴルフツアーはこれからも厳しい時代が続くのかも知れないなあ...