これは、「サトル」さん( https://blog.golfdigest.co.jp/user/woodhouse/ )の、ゴルフ小説「サドンデス」の第3話目の挿絵。
それがどんな話でこんな挿絵になったかは、小説を読んで下さい。(多分、明日以降の更新)
ゴルフをやっている者なら誰でも、ゴルフが技術と共にその「心の動き」にどのくらい影響されるかは、良く実感していることだと思う。
よく言われる「ゴルフは景色のゲームだ」なんて言葉も、景色から受けるプレッシャーが「練習場でなら何でもないショットを酷く困難なショットにしてしまう」事を言っているわけだし、子供なら何でもなく入れられる50センチもないパットが、状況次第でとてつもなく難しい一打に変わるってことも良く理解できるだろう。
ゴルフはショットを打つ時間より、その間の歩いたりカートに乗ったりしての「考える時間」の方が遙かに長いゲームだ。
その考えることは、前のショットの失敗の理由だったり、次のショットをどうしようとかだったり、昼飯は何にしようとかだったり、昨日の夜の夫婦げんかだったり、好きな女性からの別れ話のことだったり、急に増えてきた腹回りのことだったり...
そんなショットの合間の「考える時間」こそが、別な意味でのゴルフの楽しみかも知れない。
ゴルフという、ある種の「非日常」のゲームと、その間に進入してくる諸々の「日常の事件」。
それが交互に、全く別なモノとして表れて来ながら、やがてゴルフというゲームの出来に影を落とす。
...だから「ゴルフ小説」は、「ショットを打つ時間」と「考える時間」のおかげで、色々な分野を超えた無限の可能性があるのではないか?
サトルさんの小説は、その発想と展開に魅力を感じているので、もっと沢山の「ゴルファー」にそんな楽しみを共有してもらいたい。
そして、他にもゴルフ小説を書く人が出てくれば面白いのに、と思う。
俺も、「あっ!」と驚くようなゴルフ小説を、もっとたくさん楽しみたいし。