ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

2025-08-01から1ヶ月間の記事一覧

1週間かかって...復活!

てな訳で、回復するのに1週間かかった! 不整脈は二日前まで続いて、血圧が上がるわ脈拍が100超えるわの血圧計がエラー状態になるわ(脈が不規則で測れない)が6日間続いた。 血圧は4日ほどで大体戻ったけど、普段60〜64の脈拍が安静にしているの…

完全に暑さに負けている...

不整脈が止まらない。 脈拍が90から落ちずにそのリズムがずっと乱れ続けていたので、昨日カテーテルアブレーションの手術をしてもらった獨協医大埼玉医療センターのN先生に診てもらった。 原因は、暑さの中で少し強い運動をして脈拍を上げてしまったので、…

あれ?  やばいかな...

クソ暑かった土曜日。 少しは動いた方が良いか、と色々体を動かしていたら....心臓のあたりに嫌な違和感... ずっと以前から不整脈が起きる度に感じていた、心臓がフワフワと勝手に動いているような不快感。 手首で脈をとると...ああ、久しぶりに鼓…

もう少ししたら「ヒッコリーゴルフの楽しみ方」を始めます。

連日こんな「猛暑日」じゃ、当分ゴルフは無理。 ...一体いつになったら最高気温30度以下の日々がやって来るのやら... ウチの近辺は関東でも暑いと言われる地域なので、最高気温35度以上の日が連日続いて夜の気温も27度以下にはなかなかならない…

編集長の話........3・淡々飄々のゴルファー

ゴルフ週刊誌3誌の中で、最後に仕事依頼があったのがP誌だった。 ...ずっとG誌のライバル誌として世間に認められていたため、当時そのG誌の仕事を多くやっていた俺には仕事を頼まないと決められていたようだ、とか後で聞いた。 ただ、その親会社のG研の…

編集長の話....2・破天荒な編集長

D誌の仕事を始めて「ゴルフイラスト」と言うものに慣れて来た時に、創刊1971年のA誌からイラストの依頼が来た。 D誌の創刊が1972年だから、それより1年創刊が早かった元祖ゴルフ週刊誌と言う(P誌も1971年創刊)ことだったので、興味津々で仕事…

編集長の話....1・俺にゴルフを始めさせた人

「ゴルフな人々」と言う、今までに出会った印象的なゴルファーたちのこと書いて来たけど、大事なことを書き忘れていた。 俺が仕事で関わった色々なゴルフ雑誌の「編集長」という肩書きの人達にこそ、「おお!」とか「へえ!」とか「なるほど..」なんて愉快…

掘っくり返し屋のノート『メモ帳―神戸 GC キャディトーナメントの興りと終焉について』  その2

#2 このキャディ競技は 1910 年迄記録が確認され(この年について『日本のゴルフ史』では開催日・試合方式以外の記録詳細不明。としていたが、これについては後述) 、それまでに賞金も出る様になったのだが(1908-09 年は共に優勝賞金 5 円=現代の価値だ…

掘っくり返し屋のノート『メモ帳―神戸 GC キャディトーナメントの興りと終焉について』  その1

#1 日本で最初の非アマチュアゴルフ競技ともいえる神戸 GC のキャディ競技というのは、西村貫一の『日本のゴルフ史』によると、1905 年 10 月 29 日に 10 ホールの競技が行われたのが最初とされており、これは倶楽部のシーズン終業日にキャディ・トリート(…

あの時の秋                (2010年以前に書いた記事)

そんなに良い評判のコースではなかった。 東京からの距離は近いのに、アップダウンが激しく、距離も短く、非常にトリッキーという事で名が知られていた。ホールは狭く短く、ちょっとでも曲るとボールは崖や池や藪の中に消えて行き、探して回収するなんて事は…

2025年全英女子オープン

山下実夢有...よく勝ったなあ。 正直2日目で首位に立ち、3日目でティーショットとパットがボロボロになってほぼ追いつかれた時、優勝はダメだろうと思っていた 初優勝を狙って、二日目や三日目に好スコアが出てトップに立ってしまった若手ゴルファーの…

仲間よ 同志よ 戦友よ...

フリーのイラストレーターなんて仕事を50年以上続けていると、たくさんの出版社や新聞社の担当編集者と付き合うことになる。 俺の、運良く長い時間仕事が続いて生きて来られた幸運の中で、一体何人の編集者と出会ったことだろう。 俺はなぜか、出版社でも…