ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

床屋の話

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Kさんは理髪店を始めてもう30年くらいになる。
理容師の学校に行き国家資格をとって、同じ理容師の男と結婚して、夫と二人で理髪店を開いた。
はじめは借りた店だったが、二人で懸命に働いたおかげで10年程で今の店を持つ事が出来た。
もちろん銀行からのローン付きだったけど。

新興住宅の入り口近くという立地と、夫婦二人の丁寧な仕事ぶりが評判になって店は繁盛した。
現金収入だったので店が終わると二人でよく遊んだ。
しかし、酒は飲み過ぎると次の日の仕事に差し支えるのであまり飲まず、平日1日だけが休みの為に旅行に行く事も難しかった。
それで始めは夫婦でパチンコに行った。
二人でやるとあまり一方的に負ける事も無く、たまに大勝ちすると二人で高い寿司屋に行ったりした。
しかし、下手をするとその日の売り上げが全部消えて二人とも文無しになって帰る事もあった。
その負けが多くなってくると、昼間の仕事にも影響が出そうになって来た。

そこで夫が「パチンコはやめた! 一日の稼ぎが無駄になるのが本当に馬鹿馬鹿しい!」
「これからは二人でゴルフをやろう!」と言い出した。

売り上げの中から計画的にゴルフスクールの金と道具やウェアの費用を分ける様にして、二人で店が休みの時に練習場に行くようにした。
理容師の組合のコンペにも二人で出るようになった。
二人とも100を切れないゴルフだったけど、楽しかった。

そのうちに時代が変わって来た。
常連だったお客さん達は年をとったり、引っ越ししたりして少なくなって行った。
若い人たちは床屋より美容室に行く様になった。
売り上げは最盛期の半分以下になった。

そんな時に夫がくも膜下出血で亡くなった。
急に「頭が痛い」と言い出して...倒れた。
救急車を呼んで病院に搬送されたが、手遅れだった。

その後、店は女手一つで続けて来た。
客が少なかったので、自分一人でも困る事は無かった。
相変わらず客は減り続けていたが、昔子供の頃に親と一緒に来た、なんて言う若者がひょっこり散髪に来てくれたりして辛いばかりではなかった。
しかし、ゴルフは夫が倒れてからずっとやっていなかった。

このままじゃあ...なんて気持ちが、埃だらけのゴルフ道具をもう一度引っ張り出す気にさせた。
運動不足だし、ずっと気分転換もしてなかった事がそんな気にさせたのかもしれない。
...練習場に行くと、以前ゴルフを一緒にやった人や、床屋の常連の人や、店の前で挨拶した事がある人たちがいた。
あまりボールを打つ暇がない程、色々と話しかけられた。
長い間この町で床屋をやっていたので、それだけこの練習場に来る人にも顔を知られていたんだろう。

それからは毎週練習場に行く度に、床屋に来るお客さんが少しずつ増えて行った。
女手一つで大変だろう、という同情や、もう十年以上床屋に行ってないから、なんて理由で「久しぶりだなあ」なんて訪ねてくる。
ラウンドの誘いもあって、この前久しぶりのラウンドもして来た。
もちろん数えきれないくらい叩いたが、終わった後の爽快感は最高だった。

それでも、床屋に来るお客さんは少ない。
この仕事を始めた時には、これで一生食べるのには困らないと思っていたのに、世の中変わったものだ。
一日一人も客が来ない時もあるけれど、最近はゴルフ好きの人たちが何人か一緒に来て雑談が盛り上がる時も多くなった。
床屋でさっぱりして、ゴルフ談義で盛り上がって...なんだかゴルフサロンの様になって来たのが嬉しい。
売り上げは、最低限食べて行けて、月に2回くらい安いゴルフに行けるくらいあればいい。
最近のゴルフを好きなお客さん達のおかげで、その最低限はクリアしている。
...これは、夫があの時にゴルフをやろうと言い出してくれたおかげだ...
もう遅いけれど、夫にお礼を言いたい。
私はおかげでもう少しゴルフと人生楽しめそうだ。

...ただ、心苦しいのはそのゴルフ好きのお客さん達、みんな髪の手入れに苦労する程の「量」が無いこと。
簡単にしようと思えば、本当に簡単に終わってしまう....