別にクリスチャンでもないし、かといって仏教徒でもないし...
あえて言えば、自分が畏怖を感じる全てのものに神がいる、とでも言うのが自分の「宗教心」か。
海でも、山でも、大木でも、川でも滝でも、古い人工物にでさえ、何かしらの精霊が住む(住んでいて欲しい)という...俗に言うアニミズム、九十九神、八百万の神々、精霊信仰、そんなものが近いかもしれない...それにしたって、日常的に信じている訳じゃあないんだが。
基本無宗教の自分は、色々な宗教行事には出来心で参加したりしなかったり。
...今日はクリスマス・イブ。
子供が小さい時にはサンタクロースになったりしたが、基本キリスト教の祭りは自分に関係ない。
ただ、クリスマス・イブと言うと、子供の頃に読んだディケンズの小説「クリスマス・キャロル」がずっと記憶に残っていて、ある種特別な日の意識がある。
今読み直せば、キリスト教的な道徳訓話の部分が鼻につくけれど、自分の印象に残ったのは「再生」「やり直しのチャンス」「後悔している過去の浄化のチャンス」とでも言えるところ。
「許される」という部分。
本当に俗物であると自覚する自分は、一年経てば悔いの残る事を何と沢山仕出かしている事か...
煩悩の数は百や二百で収まらず、顧みれば大汗をかくほどの失敗は数知れず、謝っても謝りきれない事ばかり...
何処の神様でもいいから、許されたいのだ。
やり直しが出来るなら、スクルージのようにやり直したい事が多いのだ。
クリスマス・イブだから...
どうか神様、仏様、ゴルフの女神様、俺を許して、俺にもほんの少しだけプレ...