ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

練習、そしてラウンドへ

イメージ 1
先日、久しぶりの練習場。
古いヒッコリークラブでの練習は、ただその寿命を縮める事にしかならない可能性があるが...一本一本が長さ・重さ・硬さ・しなり具合が全く違うために、「番手と距離」ではなく「このクラブで出るボール」をある程度覚えていなくては、距離・状況による使用クラブの選択ができない。
現代ゴルフスイングの主流「極力オートマチックに」の正反対の、一本一本クラブによって違う「アナログスイング」という訳だ。

俺がゴルフを始めた頃に先輩ゴルファーから聞かされた逸話には、そういう「一本ずつ違うクラブとゴルファー」の話が多かった。
俺が初心者の頃には、アイアンには「ダイナミックゴールド」のスチールシャフトが「当時最先端の技術で作られたシャフト」というのが常識だった。
金持ち用には硬さや重さがさらに調節してある「カーボンシャフト」があったが、これは「金持ちの老人用」というのも「常識」だった。

それ以前のシャフトはただの「ダイナミック」シャフトや、アルミシャフトや、今ではあまり聞かない名のスチールシャフトが使われていた。
一応アイアン「セット」は重さや硬さなどが揃っていたはずだが、今よりはずっとバラツキが多かった。
クラブ選びも科学的というよりは先輩ゴルファーの助言などで決めることが多かった。
当時は今よりクラブの値段がずっと高価だったこともあり、そうやって一度手に入れたクラブは、それが自分に「合う・合わない」よりも「自分が使いこなせるようにクラブに合わせる」のが普通だった。
例えば「銅下メッキ」がしてあるクラブなら、誰でもメッキの下の銅が赤く出てくるまで使い込むのが当たり前で、その打点の部分が赤く綺麗に浮き出て来たアイアンは「そこまでゴルフを愛している」証拠として、それを見た人からの尊敬も受けた。
所謂「クラブを見ただけで」そのゴルファーの腕や歴史や情熱が判る、まるで侍の刀のような存在であった。

そうした時代のベテランゴルファーの多くが、それぞれの一本のクラブに「距離」だけではなく「球筋」まで託していた。
もちろん自分で曲げる練習はしていたが、クラブの番手によって「フックかけやすい」クラブや「スライスさせやすい」クラブを持っていた。
今のクラブに比べて、ひどく大きかった番手間の色々なバラツキを逆に自分で覚えて武器にしていたという奴だ。

俺は今の世にして、ヒッコリークラブのすんごいバラツキを覚えて同じように武器にしたいのだ。
それには、一本一本のヒッコリークラブの癖を覚えなくてはいけないのだが、残念ながら俺のラウンド数が少ない上に、いつ折れるかわからない古いクラブ故に無駄な練習が出来ないので十分に覚えきれない、という事情がある。
なので少ないラウンドや練習中に、早く夫々の性格・癖を覚えたいのだが...それを自分のものにした頃に「折れてしまう」のではないか、という心配が付いて回る。

というのも、これまではどんな時でも八分ショット以上のスイングはして来なかったが、マッシー以上...150y以上の距離をキチンと打つには、ミッドアイアンやマッシーというクラブをかなり強めに振らなければダメなのだ。
彼らの作られた目的の球筋・距離を出すためには、今までよりももっと強く...フルショットまではいかなくても、九分ショットでは振らなくてはいい球は出ないのだ。

ヒッコリーゴルフをもっと楽しむか、クラブの保存優先か...かなり考えた結果、今年はその性能を十分に発揮させてやる為に、ある程度のクラブ破損を覚悟して強目に打って行く事にした。
俺は決してクラブのコレクターではないのだ。

今までは極力ボールだけを拾っていたけど、ある程度打ち込む事も今年はやってみる。

日曜日、そういうゴルフがどうなることか...