ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

空を飛ぶ

イメージ 1

Fさんは、少し前に50を越えた。
子供は自分で生活出来る様になり、夫は仕事に遊びに忙しい。
数年前までは学費や食費と夫の「仕事上」の交際費とやらの支出が多くて、お金を貯める事も残す事も出来なかったが、最近やっと経済的には少し余裕ができる様になって来た。
ただ、子供の世話の替わりに近所に住む義理の親の世話をしなくてはならないので、時間の余裕は以前とあまり変わらないけど。

数年前ふと鏡を見た時に、そこにはただ年をとりつつある小太りの中年女がいるだけ、という事に気がついた。

それから急に「なにかしなくちゃ」と考え始めた。
まず、3年前近所の人に誘われて「ゲートボール」を始めた。
しかし、ゲートボールは面白く感じた事は感じたんだけど...
このゲートボールというのは、メインの楽しみが仲間内や近所のチームとの対戦や地区の大会への参加がメインとなっていて、チーム競技であるが故にビギナーのFさんがいるチームはFさんが原因で負ける事が殆どだった。
みんなは慰めてくれたけれど、それが負担になって間もなくやめてしまった。

しかし、ボールを打つ面白さは凄く感じたので、次に違う人に誘われた「パークゴルフ」というのに参加してみた。
これも面白かった。
主に個人競技だったし、Fさんにとってはゲートボールよりも「強く打てる」パークゴルフは、ゲートボールとは違う難しさもあったけど...プレーしていてずっと気持ち良く感じた。
道具は結構高かったけれど、家計のやりくりが楽になっていたおかげで良いものを揃える事が出来て、ますますプレーに熱中した。
特にFさんは、ティーショットの「ライナー打ち」が好きだった...飛距離も出たし方向性も良かった。
Fさんは2年程で仲間達から「上級者」と言われる程の腕になって、毎週開かれる試合や大会の常連になって行った。
女性達からだけでなく年配の男性達からも賞賛の声を浴びて、Fさんは生まれて始めてスポーツをする快感を味わった(中学や高校では体育は好きだったけど、運動部には入っていなかったのでスポーツに夢中になった事は無かった)。
...「意外に私は運動神経が良いのかもしれない」

充実した日々が続いていた。
あの光景を見るまでは。

その大会のあるパークゴルフ場のすぐ近くに、パブリックのゴルフ場があった。
ゴルフなんて両親も親戚も友人にもやっていた人は無く、自分には全く縁がない思い込んでいた。
テレビやニュースでゴルフの事が映されていても、始めから関係ないと思い込んでいたので全く見てはいなかった。

自分のプレーが終わって、何となくゴルフ場を見ていた時....自分と同じくらいの年の女性がティーショットを打った。
小さなボールは、まるで羽が生えた様に軽々と空を飛び...青空の中に白い線を引いて、信じられないくらいに遠くに飛んで行った。
Fさんはこの時生まれて始めて、ゴルフボールが実際に飛んで行く姿を見た。
...何も言葉が出ずに、ただボールが飛んで行った空をずっと見ていた。

「自分もやってみたい」、素直にそう思った。
自分もボールをあんな風に飛ばしてみたい。

それからずっと考えている。
あれほど面白がっていたパークゴルフがなんだか色褪せてしまい、青空を飛ぶ白いゴルフボールの残像だけが目に浮かんで消えない。

ゴルフを始めるには、まず何をしたらいいんだろう?
道具はきっと何本もあるから高いんだろうな。
服装だって、パークゴルフよりずっと高い服でやらなくちゃいけないんだろうな。
靴だってボールだって揃えなくちゃいけないし。
一回ずつのプレー代だって、きっとものすごくかかるんだろう。
今の様に自分のやりくりで作り出した小遣いでゴルフが出来るんだろうか?
それに、やり方全てをどう覚える?
それには一体どのくらいの時間が?

やってみたい気持ちは日々強くなるのに、越えなくちゃいけないハードルは日々その何倍も高くなって行く様な気がする。
自分に、あの人の様に青空にボールを打ち出す日は来るんだろうか?
今の場所に立っている自分は、考えれば考える程あまりにも多くの問題に縛り付けられていて...

ああ、自分もあんな風に空にボールを飛ばしてみたい。
そして自分もここから飛んでみたい。