ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

練習場では...

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「練習場では、あなたを気持ち良くさせるクラブではなく、あなたを苦しめるクラブを使え。」...
ハリー・バードン

つまり、「練習所では得意なクラブを練習するんじゃなくて、苦手なクラブを練習しろ」というわけだ。
確かにその通り。
ろくに当たらない、使えばミスばっかりなんてクラブを練習して使えるようになれば、絶対に上達する。

それなのにどうしてこんな言葉を言われるほど、みんなは苦手なクラブを練習しないんだろう。
...答えは、「楽しくないから。」
得意なクラブなら、勿論ミスは出るにしても上手くいく確率が高いから、手応えは気持ちのよい感触が残るし、飛んで行くボールの浮遊感を楽しみながらうっとりと余韻に浸る事も出来る。
「快感」とも、「恍惚感」とも言う、普段の生活では滅多にお目にかかれない「幸福感」を味わえる。
上手く打てる確率の高いクラブだから、打てば打つほど幸せになって楽しくなってくる。

...それが苦手なクラブの練習ならどうだ。
長いのが苦手な人は、打つ度に手に「当たり損ね」の嫌な振動が伝わる。
ボールは思いもしない方向に、ねじくれ曲がって飛んで行く、気の狂ったように転がって行く。
例えばアプローチの苦手な人は、理屈なんて百も承知なのにフェースに上手く乗せる事が出来ない。
ダフる、トップする、シャンクする...狙って打つ方が難しいような現象が、呪いのようにつきまとって離れない...練習より「お祓い」の方が必要だ、なんて気さえしてくる。
...打てば打つだけ、言う事を聞かないボールに馬鹿にされているような気がして来て、気持ちは落ち込み、荒み、自信喪失、自己否定、自己卑下の世界に嵌り込んで行く。

勿論、練習してしすぐに上手くなればそんな事になる事もないんだけれど、一度「苦手」意識が植え付けられたクラブはそう簡単に許してくれはしない。
ウェッジのアプローチが苦手で、あらゆる有名コーチに就いて教わったけれど、とうとう治る事はなかったという人を複数知っている。

だからこの言葉は判っているんだけれど、どうせ遊び(真剣だけど)のゴルフじゃないか、苦手なクラブの練習もするけど、練習場で気持ち良くなるのもまた結構...なんて思ったり。
どうもゴルフってやつは、真剣過ぎて真面目過ぎて取り組む人は、「我慢」と「耐える」の繰り返しで立派な「どM」になってしまいそうな気がするし。
...我々普通の凡ゴルファーは、「楽しい事一番」で楽しんでもいいじゃない。

苦手なクラブ、練習してもダメだったら「道具を変える」という手もあるし。
そんなクラブは使わない、なんて手もあるし。