ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ジャパンゴルフフェアで  (2017年3月25日)

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「ジャパンゴルフフェア」なるものが毎年開かれているのはもちろん知っているけど、毎年色々な能書きで売り出される「新製品」と言うものに興味が無くなってからずいぶんな時間が経つ。
所詮、ボールが同じならヒッコリーもパーシモンもチタンも、殆ど飛距離に変わりはないという事を知ってから、「旧製品より飛ぶ」なんて言葉は信じないし「画期的」な新製品にも興味は動かない。

それにも増して、「人混み」が嫌いなので「OOフェア」なんてモノには全く「行く気」が起きなかったのが...今年はWT54さんの縁で「と阿玉」さんのゴルフ殿堂入りの話に興味を持ってしまったため、彼女の殿堂入りの表彰式の確認をする為に初めてジャパンゴルフフェアに行く事にした。

会場に行って授賞式に立ち会ってみると、もうそこに来ている記者やカメラマン達に知った顔が全くいない事が寂しい。
そう、もし20年前なら雑誌や新聞の編集者や記者、カメラマン達に知った顔が沢山いたはずなんだけど、もう既にそういう人たちは皆退職していなくなってしまったというのが現実だ。

一応授賞式を見届けて、この業界に関わった一日本人としての「責任」みたいなものを肩から下ろして、港見物でもしながら帰ろうとすると...夢の北海道移住を現実のものとして、MOIマッチングで活躍中のファルコン松原氏と再会。
一緒に「二足のワラジスト」としてプロゴルファーと塗装業の責任者との2足を履き続けているH多氏と、「MOIの神」と呼ばれ、私も黒トップとミズノをマッチングしてもらったK川氏と、更にファルコン氏の弟子という方とで数時間ゴルフ話をする事に。
色々な方向からのゴルフ話は、話が尽きなくてつい長い時間になってしまった。

やっと腰を上げて帰ろうとした時、後ろから私の名前を呼ぶ声が...
振り返ると、そこには私の人生の恩人とも言えるS氏の姿。
少し年上の彼と会うのは、ほぼ15年振りだった。
彼はまだ私がイラストレーターとして仕事を始めた20代前半に知り合い、フリーとなって雑誌のイラストを描いていた頃...30代半ばで「山と渓谷」のイラストを描いていた時に新橋でバッタリ再会した。
そのとき彼は週刊ゴルフダイジェストの編集をしていて、まだゴルフに全く関わった事も無い私に「ゴルフのイラストを描いてみない?」と、無理矢理仕事をくれた人なのだ。
全くゴルフを知らない私に、「描けば判るから」と。
もちろんゴルフがそんなに簡単なものじゃなかったけれど、結局その時から始めたゴルフとの付き合いが仕事も遊びも、その後30年以上...人生迄にもこんなに影響する事になるとは思わなかった。
彼が殆ど無理矢理私に仕事をさせなかったら(実際最初はゴルフのイラストなんて嫌々描いていた)、自分の人生がどうなっていたのか想像もつかない。

S氏は若い頃は超絶のハンサムな男で、優しくユーモアがあって、女から持てる男の典型だった...が、本人に全くその自覚もその気もなかったのが不思議だった(もちろんゲイでもなかったのに)。
個展を通してうちの奥さんも彼の大ファンになり、当時独身だったうちの奥さんの妹が彼を「漫画のアポロンみたい・・・」と見とれていたのが記憶に残る。
ただ、酒を飲み過ぎる傾向があったので、体を壊してしまうのではと心配していた。
ダイジェストの仕事をしなくなってから、付き合いが遠ざかり、そのうちに彼も定年退職で会社からいなくなり、連絡のつけようが無くなって時間だけが過ぎていた。

「恩も返せずに...」と、ずっと気にかかっていた事だったので、奇跡的に再会出来て良かった...彼も退職してからはゴルフフェアに来たのは数年振りとか。

私はゴルフフェアは初めてだったんだから、きっとこれもゴルフの女神のご褒美だったんだろう。
いい一日だった。