ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

旅の途上

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若い頃、よく一人でリュックを背負って貧乏旅行をしていた。
周遊券を使って、各駅停車に乗り、駅や公園のベンチで野宿をし、ユースホステルや安い民宿に泊まり、時間を決めずに歩いていた。

名所旧跡や、時代を伝える夢のあとや、雄大な景色や、その時だけの美しさを誇る季節の風景や、一瞬の夕焼けや日没などをただ求めて歩いていた。
そうして、一人でそんな場所に佇んでいる時に結局思ったのは「一人では寂しい」ということだった。
圧倒的な美しさや風の匂いを感じる程、そんな思いは強くなった。

時が流れて共に旅をする存在が出来たけれど、そうなると過酷な貧乏旅行は難しくなり、費用と時間を作る事が第一になり、自由さが失われて行く「旅行」しかできないようになってしまった。

ゴルフを始めて一番思ったのは「これは新しい旅だ」という事。
もちろんそうは思っても、最初に拘ったのは「いかに数字を少なくするか」ということだった。
でも、そんな「競技」の面白さはある時期から急速に薄れて行き、数字なんか必要のない「旅」の要素を楽しむ気持ちが徐々に強くなった。
1ホールが自然(作られたものであっても)を相手に自分の力と自然状況とを考えて自分で道程を決める旅であり、9ホールが様々な違った楽しみを与えてくれる旅であり、18ホールが一日をかけた遠い旅になる。

そんな風にゴルフを旅して行くと、自分の中にある一瞬の情景が「忘れられない旅の記憶」として刻まれて行く。
ただ、まだ見知らぬ所を目指して旅していただけの時より、そこにゴルフが重なって旅が形成されるようになって来て、自分の旅がより充実して来た様な気がするのだ。
単なる温泉に浸かる旅より、そこにゴルフがプラスされて楽しむ旅の方が自分はずっと面白い。

先日のボナリ高原ゴルフクラブの2番ショートホール。
1番を終わってティーグランドに着いた時、そのグリーンと紅葉の風景を見た時、自分は「ああ、ここが俺の旅の到着点の一つだな」なんて感じた。
このシーンはきっと死ぬまで忘れられない光景だ...この一瞬が俺の中で、忘れられない永遠になる。
そう思った。
そんな風に、「ああ、ここなんだ」なんて感じる風景は、旅ゴルフの時に感じる事が多い。
例えば、ちょっと前の小名浜シーサイドからの海の風景...海とゴルフコースと雲と空と光の競演。
ここでも「永遠になった一瞬」を感じてしまった。

こんな事はそう思おうと意識したって、普通の観光地への旅で感じる事はまず無い。

永遠と一瞬。
一瞬の光景が永遠になる瞬間...そう感じる場面に出会えた事を、ゴルフの神様に感謝する。
なんだかここで自分のゴルフと旅が一段落した様な気がする。

...また旅に出たくなるまで、今はこういう一瞬を酒の肴にして一休み。
季節は、間もなく秋から冬に移り変わって行く。

ああ、冷えた純米酒が美味しい季節になる。