ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

頭を使わないショットは許すべからざる罪悪に等しい

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「頭を使わないショットは、ゴルフでは許すべからざる罪悪に等しい」...トミー・アーマー。

トミー・アーマーは「シルバースコット」の異名を持つ、1920~30年代の名ゴルファー。
全英・全米オープンと、全米プロに勝っている。
選手としても有名だが、その引退後に数々の「名器」と言えるクラブをデザインし、ボビー・ジョーンズでさえ教えを乞うたと言われる卓越したゴルフ理論を持っていた。

この言葉の後には「しかも驚くべきことに、それがしばしばコース外では優れた頭の人によってなされることだ」(摂津茂和著「不滅のゴルフ名言集」より)と続く。

確かに。
仕事上では落ち着いた知性豊かな紳士と見られる人が、コース上で突如として「トンデモ」人間に変身して爆発してしまったり、壊れてしまったり、消滅してしまったり、飛んで行ってしまうことは誰でも目撃したことがあるだろう。
そうした人がそんな状況に陥る時には、必ずその時に「え?」と思う様なショットをしている。
...ただ残り距離だけで判断したショット。
...願望のみの判断でのショット。
...見栄のみのショット。
...「なんとなく」のショット。

では、トミー・アーマーの言う「頭を使うショット」とはどんなものなんだろう。
不肖へっぽこゴルファーが考えるに、月並みだけど「自分の実力に合わせた状況判断」しかないだろう。

例えばパー4の池越え3打目のアプローチ、ピンは右手前、グリーンと池の間にはガードバンカー、池越えでなくても左側を狙えばグリーン左隅には乗るが上って下ってのロングパットが残る。
どうするかは自分の実力と、望むスコアと、危険回避の順番。
もちろん上級者なら上げて止めるアプローチでピンを狙うかもしれない。
しかし、もし失敗すれば池ポチャあるいはバンカー土手に目玉の状況も考えられる。
ライ次第で大きめにピン奥に乗せて、上手くいけばパー、ミスしてもボギーなんて言う選択が無難だろう。
アベレージなら、池を避けて乗せるか、始めから大きめにピン奥狙いだろう。
しかし、左に乗せて難しいロングパットであれば、そこから3パット4パットさえあるかもしれない。
もしバンカーが苦手じゃない(と言っても「出すだけ」なら自信がある程度でいい)なら、ピンを狙ってバンカーでも難しいロングパットよりいいと考えられるかも知れない。
出して2パットでボギーなら御の字だと。

これが、自分の実力を考えずに「願望」や「希望」や「妄想」で、何も考えずにピンにしか打って行かないゴルファーはここで大叩きをする可能性が高い。
普通ならこういうことは学習するものだが、ゴルフというヤツはどんなヘタクソでも何度かはプロもどきのスーパーショットが成功したりするから始末が悪い。
ゴルフの名言格言にだって「悪かったことは忘れて、良いショットのみを覚えておけ」なんてことが書いてあったりするもんだし。

まあ、極少ない「気持ちの良かったショット」だけを頭に残しておいてプレーするのは、実に楽しいものなんだけど...(失敗したショットを思い出せという訳じゃないが)スコアを気にする時は、そう言うことを考えて「今日自分が出来る可能性の一番高いこと」を選択するのも「あり」かと。

ティーショットも、セカンドショットも、「頭を使う」ということは「既成概念に縛られない」ことでもある。
「いつもの」とか「普通は」という他人の常識を捨てて、自分の頭を柔らかくして自由な気持ちでゴルフを楽しむということにもつながると思う。
自分の体調はいつも同じではない。
ホールの状況も同じではない。
吹く風も天気も同じではない。
...いつも安全第一でもつまらない。
それで失敗してもいいじゃない...たかが「真面目な」「真面目な」遊びなんだから。

でも、だからこそとミー・アーマーが言う様な(いつでも新鮮な気持ちで遊べる様に)、「なんとなく」打ったりするのではない「頭を使った」ショットをすることをオススメする。
たとえ、「下手の考え休むに似たり」なんて言われようともね。

ただし!
「考える」って事で考え過ぎて、スロープレーにだけはならない様に!
スロープレーのゴルファーには、考える資格は無い。
ただ「早く打て!」だけだから。