ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

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秋が深まる。
熱いコーヒーが美味くなる。

今日は池内誠一氏主催の漫画家コンペ、バレンタインカップをやっている。
創設メンバーでありながら、参加を休んでいる俺にはちょっと寂しい風が吹く。

...空を見上げて思い出すことがある。
ゴルフ関わる付き合いで、ゴルフをやめていった人達のこと。

特に「Y」という山岳雑誌の編集者で、少し年下の友人だったK氏のことを最近よく思い出す。
仕事の面では(俺自身が恥ずかしいほど)俺の才能を認めてくれていて、「ずっと一緒に仕事やりましょう」とよく言ってくれた。
学生時代のバイトでボッカ(強力)をやったり、冬の間たった一人で山小屋の番人をやって暮らしたりした純粋な山男であり、驚くほどの雑学の知識を持ち、話は途切れず面白く...仕事の打ち合わせは30分で終わっても他の話が1時間以上おもしろおかしく盛り上がるような男だった。

その男がゴルフを始めると、やはり人一倍熱中し、研究し練習し上達した。
うちに泊まりにきて、夜が明ける前にゴルフ場に出発、なんてことも何回もあった。
道具にも凝って、中古ではあったけどいろいろなうたい文句のクラブを試してみたりしていた。
そうして、間もなくシングルにもなろうかという頃、彼は「隆司さん、俺、ゴルフやめます。」と言ってきた。
理由は子供にお金がかかることと、他に仕事をする時間が必要になったから...

当時はバブルの最中で、ゴルフを楽しむにはかなりのお金がかかったし、他にもいろいろな理由はあったと思うが、彼はそれからゴルフをきっぱりとやめてしまった。
もちろん仕事と盛り上がる雑談話の付き合いはその後もずっと続いたけれど。

それからしばらくして、仕事やコーヒーを飲みながら話をするたびに「腰が痛い」という言葉が出てくるようになった。
当然、若い頃に何十キロも背負って山小屋まで往復した、ボッカの仕事で腰を痛めたためだろうと彼も周りも思っていた。
...が、しばらくして彼が入院したという知らせ。
そして手術をして、思わしくない、という連絡が...

後で判ったことだけど、彼の腰痛は「肺ガン」の転移したものだった。
頑丈で面白くて男らしい、将来の「Y」誌の編集長候補Kは37歳の若さで亡くなった。

そんなことを知らずに病室に見舞いにいった時に、彼は「治したら、また山に行きたい」と明るく話していた。

彼が健康に生きていて、元気だったとしてもゴルフを再開したかどうかは判らない。
でも、あれからかなりの長い時間が経った。
彼と仕事をした時間、ゴルフをした時間は遥か遠くになった。
その間に俺は、彼の無念の分までちゃんと生きて来たろうか...
彼が生きていたら、今の俺をみてなんと言うだろうか...

...秋の日に、忘れちゃいけない男のこと、ゆっくりと思い出して空を見上げてみる。