ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

便利にはなるけれど...

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先日、私の住む町にあった大きな文房具屋が閉店した。
これで、この辺の町には大手の文房具屋は一軒も無くなった。

考えてみると、以前は週に1~2回は画材を買いに行っていたこの店に、もう1年以上行ってなかった。
以前買っていたのは、絵の具類・紙類(ラフ用、フィニッシュ用)・イラストボード・トレシングペーパー・ロットリング・ペン先・インク類・スクリーントーン・カッター類・セロテープ・定規・消しゴム類・封筒...etc..

それらを買うことはもう一切無い。
今現在は全ての仕事は、古いマックで出来てしまっている。
買っていた絵の具類は殆ど全部、もう乾いて劣化して2度と使うことは出来ないだろう。
使い残した紙やボードはもうすっかり黄ばんでしまっている。
こうした自分の様な客が多くなって、文房具や画材が売れなくなってしまったんだろう。

遥か以前、パソコンが復旧し始めた頃、この道具を見て「これは人間を便利にはするが、幸せにはしないだろう」と言った人がいた。
むしろ、これは人を楽にはしても、逆に不幸にする機械だ、と。

数十年前、イラストレーターとして銀座の広告代理店に入った時(新聞の求職欄の「イラストレーター募集」の公告を見て応募して、50人の中から合格したもの)、そこにいた版下制作のプロの男は「俺は1ミリの間に烏口で7本の線が引ける」というのが自慢だった。
その男は仕事の合間に、いつも烏口の刃を研いでいる様な人だった。
...その仕事は、間もなくマックで誰でもできる仕事になった。
(...その後の消息は知らない)

結婚してから住んだ埼玉の借家の近所に、大手の印刷工場の色作りの達人がいた。
「俺は、あんたが描いたどんな色でも印刷インキで作ってやれるよ」と、胸を張っていた。
「3色で殆ど出来るけど、特色一色入れたら完璧さ」なんて。
...その工場は、まもなくコンピューターで色分解して色が作れる様になり、彼の仕事は無くなった。
(その後は毎日工場の周りの草刈りしか仕事が与えられず、怒って工場を辞めた後離婚して引っ越し、消息は不明になった)

仕事の速さと出来上がりの正確さに自信を持ち、早くから大手の受注を受けて成功し、社員15人以上を抱えて鼻息の荒かった写植スタジオがあった。
次々に新しい機械に投資して仕事を広げていった。
そして「この仕事は一生出来るから、年をとったら街の印刷屋でもゆっくりやるさ」なんて言っていた。
...間もなくパソコンでの文字の出力が奇麗になってきて、仕事が激減し会社は倒産した。
(彼はそのすぐ後、離婚して一人郷里に帰った)

コンマ何ミリかの修正から、見えない部分の修正まで自信を持っていた「プロのレタッチマン」を自称していた男がいた。
その腕で印刷工場でも一目置かれ、後輩に慕われて豪快に酒を飲む男だった。
...パソコンの導入により、彼の技術は必要がなくなったが、それまでの工場での実績により定年まで工場に勤める事が出来たが...
(彼の酒は、明るい酒にはならなくなったとか)

ちょっと自分の周りを見ても、そんな例がゴロゴロしている。

そして、今の自分も仕事自体はアナログの時代よりも楽に出来るようになった(例えばデザインの変更や編集者のイメージの変更での修正は、デジタルの方がずっと楽で速い)。
しかし、大多数の人々がパソコンや携帯、そして今の小さなパソコンとも言えるスマートフォンを使うのが普通の時代になって、自分の様な新聞や雑誌などの紙媒体のイラストの仕事は厳しい状況になった。
本や新聞が売れない...新聞社や出版社の収益が悪化する...制作費の削減が必要...原稿料が何割かに削減され、仕事の量が減ってなくても収入は激減するという事態になった。

それでも仕事があるだけマシと言えるんだけど。

大手の文房具屋が街に無くなれば、これからそう言うものを買う為には東京に出て買うしか無くなる。
画材が簡単に手に入らなければ、絵を描いたりすることが簡単には始められなくなる。
文字や書を書くことも同じだろう。
「アナログ」と言う言葉が、だんだん珍しい特殊な言葉になって行く。

そんな時代になって良いんだろうか...
人間が幸せになれないばかりか、大事なものを無くして行く時代になるんじゃなかろうか。
パソコンを使って、こうしてネットに繋がりながら...そんな疑問は大きくなって行く。


とりあえず、自分はスマートフォンは使わないぞ、と少しばかり抵抗しておく。