ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

低山紅葉

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まだ首が痛くて、右を向いたり上を向いたり下を向いたりすると、ギクッと痛む。

振り切ろうとして、頭を残し過ぎた為の軽い頸椎捻挫だと思うので、しばらく大人しくしていれば治るだろう...と思う。
軽いむち打ち症みたいなもんだろう。

日曜日の月例、球打ち遊びとしてはいささか不本意な結果だったけれど、実に気持ち良く晴れた秋晴れの下、関東低山の紅葉を楽しむには満足の一日だった。
このコースのある栃木から茨城の、丁度「関東平野が終わってこれから山地になる」と言う低山の紅葉は、あのボナリでの紅葉や日光・塩原の紅葉のような「錦織なす」色彩の変化がある派手な紅葉と違って、ほぼ茶系統の色数の少ない紅葉となる。

しかし、植林で同じ杉林になっている部分以外は、低山の連なり全体に黄色から赤にかけての微妙なグラデーションが広がり、晴れた日には実に繊細で美しく見える。
紅葉する時季は大分遅く、今年は丁度今頃が盛りとなっている。
と言っても、こんな紅葉は西洋人に取ってはただの枯れ葉の山にしか見えないらしいんだけど。

そんな時期、球打ち遊びが好調であれば歩くのはただの草地だけになって、それは田んぼのあぜ道散歩と変わらないけど、不調であれば歩くのは枯れ葉を踏みしめる林間散歩であり、ドングリの敷き詰められた斜面を歩くフィールドウォーキングとなって、歩くだけで心豊かになって行く。

調子の悪い第一打を打つ時にも、一陣の風が赤や茶色や黄色の枯れ葉を宙に舞い上げ、桜の花吹雪にも似た幻想的な場面を作ってくれる。
曲がってばかりのボールの行く先には、色とりどりの枯れ葉が重なり、己の欲と傲慢さの沁み込んだ塊をどう隠してくれようかと待ち構えている。

わずか50センチのパットを外しても、腰の痛みに耐えてボールを拾い上げ、痛む首を抑えて空を見上げれば、まるで絵の具で染めた様な青い空が広がっている。

短くなった一日の午後、風の冷たさに震えながらボールを打てば、フェアウェイを幾重にも木々の影が横切り、今まで見えなかった滑らかな陰影を浮かび上がらせる。
低くなった夕日は、地味な紅葉をまるでライトアップしているように照らし出す。
沈んだ赤のグラデーションが、その逆光によって鮮やかな色彩の輝きを放って燃え上がる。

既に西の空は赤みに染まり、頭の真上は水色から濃い青への変化が美しい。
数字の記録は、それはそれ。

冷えた身体を風呂で温めながら、窓から見る空はすっかり夕焼け空となり...
「ああ、今日はいい一日だったなあ」と、自然に声が出る。

帰り道の狙ったポイントの低山紅葉は、既に日が落ちてしまって見る事は出来なかったけれど...
球打ち遊びは面白かった。
低山紅葉も楽しめた。


昨日で結婚40年。
明日で満64歳。

とりあえず
まだ、遊んでいる。