ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

みんな何処に行った?

 

空は青く、ガラス窓のこちらから見ているだけなら「今日もいい天気」だ。
北の国や日本海側の地方では大雪になったり、冬の嵐になったりして普通に生活することが大変というニュースが流れているが、ここ関東地方だけは雪も降らずに「晴れ」の日が続いている、

ただ、気温は上がらずに最低気温は氷点下、最高気温も五度前後という日が続いていて、外を歩くには(家の中でも、か)防寒用の厚着をする必要がある。
当然ゴルフなんてのは春までお休みになり、それなりに気に入った景色の場所も見に行くほどの魅力は無くなり、「遊びに出かける」なんて言葉は日常生活の中では死語になる。

だから...「こんな季節は暖かい酒と摘みで一杯やりたいなあ」なんて気持ちになるのはしょうがないだろう。
ただ、そう言う「思いつき」の後に、すぐに現実を思い知る。
「ああ、あの店はもう無いんだった...」
自分で行きつけだと思っていた「居酒屋」も「ビアホール」も、そこで馴染みになって俺の注文するものがわかっていたマスターや親父さんは、(当時から俺よりちょっと年上くらいが多かったので)ずっと以前に仕事をやめてしまって...そのお店もとうの昔に無くなっていたんだっけ。

飲み相手も同じ。
俺の若い頃は、いろんな出版社にいた同年代から10年くらい若い担当の編集者が主な飲み相手だったけど、彼らも全て今は定年となって出版社にはいなくなり、(行き慣れていたはずの)出版社ビルにはもう知り合いは一人もいない。
いや、今ではその出版社のビルでさえ、売られ引越ししてしまってその場所にはなくなっている事が多い。

俺はフリーで生きてきてもう50年になるが、「仕事」というのは出版社と自分の関係ではなくて(漫画家の世界は違うみたいだが)、あくまで担当の編集者との個人同士の付き合いだったんだと気がついたのは随分遅かった。
俺はそこの出版社の仕事をすると、そこの出版社の一員になったつもりでイラストを描いていたのだが、何かの事情で俺に仕事をくれていた編集担当者が部署を変わったり退職したりすると、その出版社の仕事がすっかり切れて終わってしまう現実になかなか慣れなかった。
例えば「山と渓谷」社の、シリーズ物の単行本の表紙は評判が良いということでずっと俺が描いていたのだが、その担当の編集者が退職するとともにプッツリと終わってそれっきり...なんの連絡もなく、そのシリーズはそれで消えてしまった。
つまり、(俺のレベルでは)仕事のほとんど全部が担当者個人との繋がりで成立していた仕事で、そこに出版社という看板は仕事の継続になんの意味もなかったのだ。

だから、各出版社には何の思い入れも無いが、担当だった編集者とは昔話でもしながら一杯やりたいな、なんていう気持ちがずっとある。
残念なのは、会社を辞めてフリーとなった編集者が、その後に同じような分野での仕事を一緒にやったり、部署を変わった編集者が仕事抜きで飲んだり、という事が殆ど無かったこと。
俺は担当になってくれた編集者と、打ち合わせや打ち上げなどを理由に一杯飲みに付き合う事が多かったので(というより断る事がなかった)、すっかり飲み仲間になった気持ちだったのに、担当を離れると付き合いがなくなることは寂しかった。
(ま、俺の性格が原因だったのかもしれないと自覚はしているんだけど)

そんな同じ年代、あるいは少し上の年代、そして最近は10年も下の年代の「かって一緒に飲んだ担当者」だった人達が亡くなったというニュースが、ここ2〜3年で随分多く続いている。


「お〜い!」、あんたはずっと昔仕事がらみで飲んだだけの付き合いと思っているのかもしれないけど、フリーで生きてきた俺にとっては、一緒に飲むような付き合いをした編集担当者とは「飲み友達」だったと思っているんだ。

その後にどこでどう生きてきたのか知らないけど、人生のどこかで酒を共に飲んだ付き合いだったんだ...人生が終わる前にもう一度は一緒に酒飲もうぜ。
「亡くなった」という知らせに、「あいつと最後に会ったのは数十年前の酒飲みだった」、なんてのは凄く寂しい。

俺は、ヨタヨタしながら...でも、まだ酒を飲める程度には生きている。

一回、連絡してくれれば、俺はオールタイムオッケーだ。