ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

花の季節は終わっても...

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「花散らしの雨」は絶対に降るものだし、宴は必ず終わるもの。

がしかし、夜の後には朝が来て、雨の後には晴れが来る。
花びらが落ちた後には、もう新緑の葉が伸びている。

花粉さえ無ければ、黄砂さえ無ければ、PM2.5さえ無ければ、この新緑の季節は一年で一番気持ちが良いハズだった。
今年はその上にあの武漢肺炎が加わって、ただただ耐え忍ぶだけの時間になった。
国の発表したワクチン接種の情報なんぞ全く我々のところには伝わって来ないし、オリンピックがどうしたなんて「いったい何処の国の話なんだ?」ってのが正直な感覚。

そんな中で、7日にうちの奥さんの治療後の経過チェックをする。
まだ本人の感覚的では「完治」には程遠く、いろいろな不具合が次々に現れて来て、その度にそれぞれに対応することに四苦八苦している。
「元通り元気になりたい」というのは本人や家族に共通した思いだが、そもそも「元通り」という事がイメージとしてはっきりしない。

俺の心臓のアブレーション手術の時にもそうだったが、治療が上手くいって退院すると自分では「体が治ったのだから、なんの心配もなく若い時のように動ける」なんて思い込んでいて、現実の自分がすでにジジーになっていることを忘れてしまっている。
すると、不整脈が出ていなくてもちょっと動いて「ゼエゼエ、ハーハー」と息が上がるのが、自分ですごいショックになる。
「なんだ、俺は治っていないのか!」と...実は不整脈が出ていないんだから治療は上手くいっているし、それらは長年の運動不足と年齢的に当たり前の状況なんだけど。

うちの奥さんも、辛い治療を乗り切って来たものだから「あんなに頑張ったのに、どうして?」という気持ちが強いように思える。
入院なんてしたことがない我々にとって、やっと退院出来た後に今の状況と比べてしまうのは、どうしても思うように身体が動いたずっと以前の若い頃の動きの記憶なのだ。

俺も自分の年齢を何度も自分に言い聞かせる事で、時間をかけてその違和感を薄くして来た。
うちの奥さんも、7日に「大丈夫、うまく行ってます」と言われた後、その年齢なりの自分のやり方を自覚して、もうちょっと気楽に行けるようになればいいんだけど。

とりあえずは散歩を続け、花粉やコロナを避けながらなんとか今しばらくを生き延びて、その後の夏の暑さも切り抜けて、秋の自分のゴルフシーズンを楽しみにしたい。
オンボロキャンパーでの温泉旅や旅ゴルフも、その頃には騒ぎが収まって復活出来ていればいいんだけど。


ま、月一程度は俺はヒッコリーゴルフをしたいと思っているが、それも世間の状況次第。
来週には今年のマスターズが始まるけど、最近の俺はデシャンボーくらいしか興味がない。
ああ、そういえば松山があの途中で無理やり止めるスイングを今週の試合からやめたようだ。
正直、俺はあのスイングが気持ち悪くて全く見たくなかったから、「それは何より」の情報(笑)。